3月17日(木)大震災 7日目

 6時、雪が深深と降っている。妻と妹一家を捜しに河北地区長面へ向かった。渡波付近の道路もぐっと改善され牧山トンネルを通り河北地区へ横山地区を超えたところで通行止めになっていたので車を止めた。ここからは、歩いていこうと妻に話、雪が吹雪状態の中、車を降り歩き始めたところへ軽トラックの人が「ユニックで道路作業しているため通れない。河北ビックバンに行った方が良い」とアドバイスを受けた。急いでビックバンに行くと玄関に親戚がいて三條家では3人が行方不明だと。不安は的中し、2階の和室に非難している三條家の両親に会った。妹と甥2人が津波にあい、長男(甥)が遺体で発見されたと。無念残念、愛惜痛恨の極みだ。なんと不運なんだろうととめどなく涙が溢れてきた。話が終わりしばし茫然としていると義弟が来て「捜索が雪で難航し取りやめになり戻ってきた」と。妹は、長男を宮城県水産高等学校へ向かえに行き、その後、次男を迎えに大川小学校に行き3人一緒になったというメールを最期に途絶えたという。妹の車と長男が遺体で見つかったということで飯野川分校体育館へ大雪で滑りながら到着したがまだ着いていない。(ビックバンで元荻浜小学校長増子裕子さんと再会、炊き出しのボランティア)気持ちを切り替えガソリンスタンドもなく広域水道企業段で給水し自宅へ戻る。母・祖母・娘に報告しながらみんなで泣いた。夜は行方不明になっていた2人が遺体で発見されたと・・・。本当に寒くなってきたが寝る前に妹と甥っ子思い出し(涙)で寝つけなかった。

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