3月18日(金)大震災 8日目
彼岸入り。ラジオから、この冬1番の寒さで積雪や米山では氷点下8度だと伝えていた。妹と甥を思うと足取りが重い。今日で3月11日午後2時46分、マグニチュード9.0の巨大地震からまる1週間が経った。ライフラインの道路が通れるようになった。それにしても震災名が変わり東日本大震災となっている。呼び名より復旧を急げ!といいたい。加えて福島の原発事故、節電にご協力を促していたが現地は停電でハイリスクは全て地方か!午前中は小積浜の地蔵様を横断していたコンテナをずらし迂回路を作った。偶然に一緒になった山田夫妻と狐崎事務所で後片付けしたが、全員揃わないので途中で東浜小学校避難所へ移動し状況を伺い午後に自宅へ戻る。
2時過ぎ自衛隊からの救援物資が運ばれていた。本当にありがたいことだ。妻から午前中に須田県議が被災地へ訪れ我が家によってくれたことを聞いた。須田県議の自宅も流失し、女川町も町役場が水没し街中の中心部が崩壊状態で半数以上の人々と連絡が取れないらしい。
早く電気・水道・電話など復旧されれば良いのだが…。特に、情報を共有できないこと、携帯電話が役に立たないことが歯がゆい。公衆電話無料であることや災害ダイヤルの健がラジオから流れるが、利用できない悔しさを知って欲しいものだ。