3月27日(日)大震災 17日目
息子から携帯メールが有、「昭二おんちゃんに電話するように」という内容だったので、弟(昭二)に直ぐに電話すると友輔(甥)の仮埋葬が始まるので石巻の北鰐山に居ると。妻と急いで向うが、地元小積浜のところで「侍浜が通行止めのためコバルトラインを迂回して下さい」とのことでコバルトラインで女川経由で行った。女川も聞いていた以上に崩壊状態で津波の凄さ悲惨さを実感した。到着すると弟夫婦と義弟と両親らがいた。縁かな担当者は従兄弟で深く掘られたところに棺があり、手を合わせたら泣けてきた。まだ、16歳、これからなのに…。昨年の選挙時には宮城県水産高等学校の帰りによく寄ってくれた。長面らのお祭りには太鼓や笛で活躍していたなどいろんなことを思い出した。
昼、弟夫婦の住む大崎市古川へ行き、ブログのバッチ処理を行い17日ぶりに風呂にも入れた。車で帰る途中、妻に義弟から電話が有、妹が大川小学校近くのお寺の付近の瓦礫の下で見つかったと。声が震え涙声になっている妻の話を聞きながら涙で視界が悪くなった。一縷の望みがあったが、遺体でも発見されたという安堵と死亡という現実を突きつけられ悲しさとやるせなさで一杯だった。しばし無言で走行していたが、親戚の菅間県議から電話が有、我が家に来ていただき荻浜中学校避難所に息子が自主的に滞在したので宜しくということだった。
夜、食事ものどを通らず、我が家に避難している人が戻った後に母・娘・祖母に妹の内容をゆっくりと報告し伝えた。涙と心痛な思いで話したが、さみしい夜がゆっくりと過ぎる。ロウソクを見つめていると炎が揺れ慈愛の温かさとかわり伝わってくる。それぞれの思い、生かされた者たちが背負っていかなければならない。