4月9日(土)大震災 30日目
朝から生憎の雨。余震の影響で本棚から崩れた本などの後片付けをしていると石巻市史の記録を紹介した「いしのまきらいふ」を読み作業が止まった。大正2年8月27日、石巻地方は激しい高潮に襲われ大きな被害をもたらした「大海嘯」(だいかいしょう)。海嘯とは、満潮と高波が重なって起こる高潮現象のことで、これに降り続いた大雨が重なって北上川の水が増水して一挙に膨れ上がり、石巻地方沿岸部を襲ったようだ。今、大潮で大変心配だ。ところで、当時、警察は水防の警鐘を乱打して消防署員を非常召集し、危険状態に陥った門脇、浜横丁、湊、北上川堤防沿に警戒に当たりましたが、どうすることもできなかったとあります。間もなく海岸一面が泥の海に変じ、町民家屋が倒壊し流失、溺死や損傷など被害が甚大であったと。石巻市史の記録には、この高潮被害は牡鹿全体で死者27人、流失家屋3,346戸、このうち石巻町死者3人、61人負傷、我が荻浜村では16人死亡したとある。
小積浜の地蔵様の近くに昭和8年3月3日の昭和三陸津波の時に建立された碑がある。「地震があったら 津波の用心」から始まる碑を見ては、子どもの頃に父母や祖父に35年のチリ地震津波被害を引き合いに充分聞かされていた。先人達の思いをしっかりと子々孫々に伝えていかなければならない。