4月12日(火)大震災 33日目
朝食後、妻、娘、母を同乗させ市内へ。母は掛かりつけの病院、娘は来週から勤務すると勤務先に挨拶、妻と父がお世話になっていた涼風園に手続きと挨拶を済ませ母の病院へ。大変混んでいてまだ終わっていなかった。待っている間、You Tubeで東日本大震災の様子が載っていた。特に、女川町立病院2階からの大津波による町が流される様子は身の毛が与奪ようだった。1ヶ月が過ぎ、大津波の様子を改めて見てエネルギーのすごさに驚くばかりだ。
父が涼風園から和香園へ搬送され、手続きしている間に母が娘と孫の死を話し父が泣いていた。この年になって逆さ別れかという思いだったようだ。娘も一緒に号泣していた。You Tubeの大津波状況に多くの方々が想定外と言っているが、そもそも、想定のした数字が誤りである。しっかりと対応してもらいたい。自宅へ戻ると、通電されているかと思えば全然動きがない。もし、父が自宅だったらと思うと大変だった。福島県の原発はレベル7でチェルノブイリに匹敵するようだ。原発に1番近い議員として物申したい。今夜も懐中電灯とロウソク暮らし、いつまで続くのかなあ。