5月3日(火)大震災 54日目

 息子達が帰るので送りながら石巻駅へ。仙石線の復旧見込みが無いため代替として走っているJRのバスに乗っていった。「がんばろう!石巻 石巻の都市基盤復旧に向けて」(建設部)の資料を拝見しつつ、推進をしていながら中々進まなかった漁業者のガレキ撤去もスタートし本当の意味で復興計画をどうするか、女川町のような民間レベルでの提言も重要な鍵となるので各部の考え方と市民の目線である現場の意見を協働により構築すべきだ。
 ライオンズクラブの朋友支援の話を伺い感謝すると共にNPOと「復興に向けて-長く険しい道のりを-」プランの推進と漁業者などの生産者を力づける支援として「復興インターネット通販企画」について協議した。一丸となって一歩一歩前進することこそ大きな励みとなる。
 ご指南役からいただいた「三陸海岸大津波」吉村昭(文春文庫)を読んだ。明治29年、昭和8年そして昭和35年の大津波について青森県・岩手県・宮城県の3県にわたる三陸沿岸を襲い多くの人々が犠牲になったその様子や前兆、被害、救援という観点から証言をもとに再現されている。その様子を『村落は、荒地と化していた。津波の運んできた大小無数の岩石が累々として横たわり、丘陵のふもとにある家々がわずかに半壊状態で残されているだけで、海岸線に軒を並べていた家々は跡形も無く消えていた。海は、平穏な海に復していた。しかし、そこには家屋・漁船の破片や根こそぎさらわれた樹木が、芥のように充満していた』と明治29年の状態を表現しているが、今回の東日本大震災も同様の表現だと思った。いろいろな意味で歴史から学び、活かされないといけない。

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