5月9日(月)大震災 60日目
少しずつガレキ撤去などが進んでいるが、大きな進捗ではない。インフラ整備も一生懸命努力していただいているが、まだまだ水道・電話が使えない。渡波や佐須浜から折浜、蛤浜、桃浦、月浦、荻浜、小積浜、牧浜、竹浜、鹿立、福貴浦から牡鹿地区は仮設住宅を早く希望している。明日へのステップ、漁業再開も仮設住宅に入居できる目途が付けばの話だ。だが、仮設住宅建設の条件であるインフラ整備が整っていない苛立ちは大きい。早急に水道だけでも計画書を提出させたい。
さて、母と祖母を乗せ父の実家である登米市米山町へ、道路が地震で損傷しているものの別世界のようだ。早く、日常に戻るためにも仮設住宅着手へと進めていきたい。涌谷の叔母に寄ったらベットに寝ている状態にもかかわらず津波被害を案じてくれる気遣いに頭の下がる思いだ。休み明け(こちらはコンビにのように休まず営業で曜日感覚が薄れているが)のせいか、携帯電話にいろいろ尋ねてくることが多かった。また、日記で書いた本のことや津波時の状況を伺い、3.11を思い出した。それぞれみんな、いろいろと厳しい現実を迎えてようで、目がウルウルとなった。夕方、荻浜中学校に避難している荻浜地区関係の課題について新区長さんたちから電話をいただいた。初夏のような暑さ、海は何事も無かったようにキラキラと輝いていた。すべての漁家に黄金の海、豊饒の海が戻り自然の恵みをどうか分けてあげられるようにと祈らずにはいられない。