7月9日(土)大震災 121日目

 吉川弘文館の新刊案内をいただいた。「御成敗式目」がり、内容は鎌倉時代に制定された武士政権のための法令(式目)のことで、貞永元年8月10日(1232年8月27日:『吾妻鏡』)に制定されたものだ。寛喜の飢饉が大最悪の猛威となり、社会不安な世情であり、繰り返し襲い来る大火・怪異・疫病・地震・洪水に執権であった北条泰時が中心になり合議制の確立を行ったという。歴史は繰り返すか。明代の哲人、呂新吾にこんな言葉がある。
「寛厚深沈、遠識兼照、福を無形に造し、禍を未然に消し、智名勇功なくして、天下陰にその賜(たまもの)を受く」である。
いわゆる「どっしりと落ち着いていて、広い見識があり、人の知らない間に福を造り、禍は未然に消す。そして誇らない──。」ということで、このことは防災の世界に限らず、人の上に立つ人間が総じて銘記すべき言葉だ。
 さて、石巻復興支援ネットワークでSave the Childrenの津田知子マネジャー・菅原絵美コーディネーター・中村悠コーディネーターと会い昨日の秋篠宮ご夫妻が訪れた鹿妻小、大街道小、ビックバンで活動をしている。午後からは子どもたちを交えワークショップの一連を見学・参加させていただいた。被災地で有効な活動だ。子どもの支援は「石巻市子ども権利に関する条例」(平成21年4月1日施行)に携わったものとして、しっかり対応していきたい。4時過ぎ、広島市のアジアの花たば代表小川順子さんと名刺交換を行い総合的な活動を進めていきたいと改めて感じた。
 夜は、管野家通夜へ行く。東日本大震災でご夫婦一緒に被災した。何とも悲しい通夜式だった。終了後、相澤さんの退職と再就職を祝う会へ出席、新たな出発へエールを送った一方で、地方が国を変えるつもりでしっかりと訴えって欲しいと。話が弾み管政権と前松本防災大臣は戊辰戦争の再来で薩長連合が東北をなめているのではないかという。永田町のパワーゲームの国に対して石巻市の声を毅然と伝えよということだ。4か月目を迎えようとして遅々として進まぬ国の復興支援策に石巻から発信する必要を論じ、長引く問題で疲れではなく怒りが大きくなっている。

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