8月19日(日)平野文部科学大臣大川小へ
第2回仮設住宅のカラオケ大会があったが、石巻河北総合センターでの会議に行った。到着し車から降りると、「しばらくです」と声を掛けられた。昨年9月24日に法政大学の依頼でアーキエイドサマーキャンプ報告会のため会場の新・港村(BankARTは横浜トリエンナーレ)で行った際に進行役を行った東北大学大学院都市・建築学堀口徹先生だった。折口先生は、現在、京都にある立命館大に異動し雄勝地区復興計画のためと御挨拶をいただいた。会議終了後、午後から開催予定の「雄勝未来会議」の準備に追われていて、第1部を雄勝の未来を語ろう(東北大、日本大、東京藝術大)、第2部雄勝の復興計画(各地区毎の意向調査、各地区高台移転候補地及び工事工程(案)、雄勝手帖(案)、雄勝中心部等復興計画(案)、災害廃棄物処理状況)、第3部意見交換となっていた。立体模型・パネルを閲覧した。
11時半、平野博文文部科学大臣の受け入れ準備のため大川小学校へ移動した。すでに、遺族会など多くの方々や同僚議員が集まっていた。文部科学省大類由紀子子ども安全対策支援室の方とお会いし名刺交換した。12時10分平野文部科学大臣は、震災の津波で全校児童108人のうち70人が亡くなり、4人がいまも行方不明になっている現場・大川小学校にマイクロバスで来て降り、慰霊碑に献花し焼香した。境教育長から紹介され名刺交換を副議長とともにし、遺族代表らと平野大臣と意見交換した。、武山会長から「1年5月過ぎてはじめて大臣が来てくれた。もっと早く現場の状態を見て欲しかった。これまでは、行方がわからない子どもたちの捜索を遺族が頭を下げてお願いしてきたが、これからは下げない。大臣が汗をかいてほしい。きちんと検証し、防災マニュアルを作り、県や市に指導できるように見直しをしてほしい」と訴えた。続いて未だに行方不明となっている児童の両親から見つかるまで国がしっかりして欲しいと。平野大臣が応え学校周辺を視察し、記者団に対し「一日も早く、全員の捜索が終えられるように、関係機関に遺族の意見を伝えたい」断言し、「いったい何が惨事を起こしたのか、しっかり検証することこそ、大きな教訓で、二度と起こさないという防災教育をしなければならない。早く第三者機関で検証してもらうことが不可欠な課題だと認識している」と述べたが、まさに昨年から遺族会や市議会からも訴えてきたことだ。
それにしても、同僚や県議などから連絡をいただき出席できたが、教育委員会は連絡後の対処が、しっかりと行われていないことに不快感を示す議員が多くいた。