3月2日(土)船越小学校閉校

 朝から暴風、海上では波が高く山々の木々が大きく揺れている。JRは運転を見合わせているようだ。午前中は、懇談で有意義な御意見をいただいた。12時半から宮城県石巻北高等学校飯野川校体育館で「石巻市立船越小学校 閉校式」に出席した。東日本大震災の発災後、妹や甥っ子を探しに何度も来たことを思い出した。駐車場で大森環境教育委員長と偶然隣り合わせ、一緒に体育館に入ると地元髙橋左門議員・阿部久一議員が既に着席していた。
 1時に閉校式が開式、式辞は石巻市教育委員会阿部盛男教育委員長、感動的な式辞、続いて挨拶は亀山市長、石巻市議会議長で私、船越小学校PTA牧野輝義会長。来賓紹介、別れの言葉は10名の児童全員が行いザ・ソーランに歌と私の母校が閉校した時と重なった。極みは校旗返納。船越小学校は、明治6年に名振小学校として開校以来、地域と共に歩み139年で歴史に幕を閉じた。「船越魂よ、いつまでも」
 3時頃、ナリサワギャラリーで「第14回ひたかみ写真展」を見学、東日本大震災により昨年は開催ができなかったが2年ぶりの作品92点は心休まる作品が並んでいた。9名の会員の視点が、それぞれ顕著に出されていた。被災の影響はあらゆる場面に現れているが、決して負けずに加速だ。
 夜、可燃瓦礫を運搬されていたが強風のため積載分を海にかなりの量が飛んでいるが海の清掃をした環境をどう考えているのかという指摘があった。委託するばかりではなく行政は変化に対応すべきで、シートをはるか、休みにするなど的確な対応が必要だ。

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