7月14日(日)金華山道

 聖武天皇の御世 西暦749年に、陸奥の国守百済王敬福が朝廷に黄金を献上した。大仏建立に黄金を必要としていた天皇は大いに喜ばれ、年号を天平勝宝と改められた。この祝事に因み、同2年牡鹿連宮麿等が相議り国守に請願し、秀麗の地金華山に金を司る 金山毘古神 ・ 金山毘賣神 を奉祀し神社を創建したのが、金華山黄金山神社である。
 金華山大金寺は、平泉の陸奥守藤原秀衡公、石巻城主葛西三郎清重公等、時の権力者により多大の御寄進を受け、荘厳美麗を極め、 恐山、出羽三山と並ぶ「奥州三霊場」に数えられている。「三年続けてお参りすれば一生お金に困ることはない」という言い伝えがあり、参拝客を集めている。また、神の使いとして保護されている多数の鹿が生息している。
 さて、参拝のための道路、「金華山道」は石巻市大街道を始点とし、牡鹿半島~小積峠~山鳥に至る道で、金華山への参詣の道として利用された。始点の大街道の七十七銀行穀町支店前には、明治6年建立の金華山道起点の石碑がある。そこから渡波を通り、万石橋をわたると牡鹿半島入口の祝田の海岸に沿った船着場に1813年(文化10年)建立の常夜灯道標「金華山道道標 常夜灯」が建っている。途中、昭和3年3月31日「金華山道改修工事」の石碑が小積浜に建立されている。
 これらを散策しながら、東日本大震災による津波で指定区域が大きな被害を受けたことを受け、本年5月24日に、青森県から宮城県気仙沼市までの海岸線を「三陸復興国立公園」に指定した。リアス式海岸などの自然を生かした復興を進める。今後、宮城県の南三陸金華山国定公園の同国立公園への編入も2014年中に目指すが、人口流失の歯止めのためにも、ジオパークや金華山道を加え地域づくりに役立てたい。

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