7月17日(水)歴史

 「第84回都市対抗野球大会」に3年ぶり2度目の出場を果たした日本製紙石巻(本市)と午後2時から信越硬式野球クラブ(長野市)と対戦、最大の被災地石巻市の思いが通じ7対3で勝利した。小松家葬儀委員長として正午に火葬、午後2時から葬儀告別式のため応援隊として参加できずエールを送っていたがFBで結果を知らせていただきホッとした。
 さて、日本経済新聞にサンファン関係の記事で出帆地月浦の相澤区長さんや観光協会の浅野専務のコメントがあったが、真に復興を優先とするならば対応についてこれまで何度となく指摘してきたが主人公を考えていただきたい。また、網地島の白浜に建立されているベーリング像について宮城県漁協網地島支所、牡鹿総合支所に伺った。1739年(元文4年)にベーリング海峡を発見したオランダの探検家V.J.ベーリングの指示の元に、ヨーロッパから日本への北方航路開拓のため金華山に現れる途中、網地島沖に辿り着き、島民との間で食料と交換すると共に双方親しくの日露交流が行なわれた。ベーリング没後の1991年あじな島祭りでベーリングの偉業と親善交流を願い旧牡鹿町の予算と寄付で記念碑が立てられたことがわかった。郷土の歴史は偉大だ。
 さらに、夕方は歴史談義・・・・。歴史はロマンとミステリーがいっぱいだ。

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