8月20日(火)小西九兵衛

 日本経済新聞東北版に「遣欧使400周年宮城で誘客続々」が掲載されていた。慶長18年(1613年)に仙台藩主伊達政宗がフランシスコ会宣教師ルイス・ソテロを正使、支倉常長を副使として、エスパーニャ帝国(スペイン)の国王フェリペ3世、およびバチカンのローマ教皇パウルス5世のもとに派遣してから400年となる。特に、慶長三陸地震後に大海原に乗り出した使節の存在を広く知らせることで「被災地を勇気づけられれば」と期待しているという記事だ。だが、出版地である月浦はカヤの外となっている。何とかユネスコの世界記憶遺産にも登録されたので、原点を忘れないで欲しい。久しぶりに雨だったが、朝から市役所に行き、三度、担当部へお伝えした。その時、FBで石巻初の百貨店『観慶丸』の東側にある『小西家』について調査依頼があった。向いの教育委員会で「小西家」について旧石巻市史5巻石巻の三奇人の中に「小西九兵衛」について、『岩手県黒沢尻生まれにして幼時に実父と仙台に出て祖業の薬種舗に働いていたが、成人するや分家独立、石巻に移って裏町に宝珠堂と称する薬店を開業した。九兵衛は夙に漢方薬の研究に没頭し、・…。(略)なお、九兵衛に二度にわたる東北巡幸録を編集した「輦輅の躅」と、支倉常長の遣欧船出帆に関する「月の浦余影」と題する著書がある。』という資料だ。「月浦余影」について、元石巻市教育委員会阿部和夫教育長と懇談、震災時の6月にいただいた「仙臺郷土研究」にその内容が記載してあった。2代目小西の偉業が2つあり、1つが、出帆した月浦に大正12年(1923)年5月に東郷平八郎揮毫による石碑建立、非公式ながら駐日イタリア大使の月浦訪問昭和4年(1929年)8月13日となる。2つめは、「月浦余影」を編纂し発行したことだ。このことにより、。「月浦余影」は、郷土教育の普及を裏付け昭和7年(1932年)9月14日荻浜小学校の子ども達が仙台放送局から放送した支倉常長に関わる児童劇「行け!支倉六衛門常長」が尋常5年生から高等2年生までの7名が演じて放映された。後に、平成16年(2004年)に荻浜小学校宮崎教諭が6年生の総合的な学習で取り上げて秋の学習発表会で地域住民に披露、当然ながら私も出席させていただいたことを思い出し疑問が解けた。
 市役所で課題であった諸課題についても問題提起し対応方、解決していただくよう対処してきた。いづれ、小西さんも現場を大事にし、受け継ぐ後世の方々もそれに応えようと努力する。歴史学の面白さだ。これと対峙するかのような復興政策は、FBやライン、メール、郵便で不満や不安を訴えられる。一層の乖離が残念だ。

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