4月18日(土)いろは歌

 朝8時過ぎに石葬会館に行き、9時から出棺式、終えて石巻斎場で火葬収骨。洞源院で小竹浜の伯母の葬儀告別式を正午半、法要と会食を終えたのは午後3時と1日掛かりだった。洞源院の山門したで行列、枝垂桜が満開でお花が好きだった伯母の惜別を表しているようだ。小野崎導師から、「いろは歌」のお話があった。『赤ちゃんが覚えるあいうえお、私の時はいろはにほへとだったが意味がある。しておきます。「空」の悟りを表している。 いろはにほへど ちりぬるを (色は匂へど散りぬるを)の中で、色が物資的現象を表し、花は匂うけれども散ってしまうのに込められている。いずれ変化し消えてなくなってしまうものだ。わがよたれぞ つねならむ (我が世誰ぞ常ならむ)。うゐのおくやま けふこえて (有為の奥山今日越えて)では、有為が大事で、未踏の深い山、実体のないものにとらわれた煩悩を今日克服して空を悟る。あさきゆめみじ ゑひもせず (浅き夢見じ酔ひもせず)。幸福や希望に酔ったりもしない。お孫さんの「桜が満開」にとあったように石巻地方はきょうが見どころです。すべての現象である「色」は実体のない幻想である「空」』有難い「いろは歌」の説法だった。
 帰りに、蛇田まで義母と従姉を送って行った。日和大橋を通過する際に、日和山の桜が満開だった。さぞ、賑やかに花見を行っているのだろうと思い20度近い気温、亡き伯母に感謝しつつ「空」を考えた。いろは歌に込められた『涅槃経』の中の無常偈「諸行無常、是生滅法、生滅滅已、寂滅為楽」(諸行は無常であってこれは生滅の法である。この生と滅とを超えたところに、真の大楽がある)、しっかりと活動していこうと改めて思った。

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