3月11日(金)東日本大震災から5年
東日本大震災から5年、妻・娘・母・従姉と5人で亡き妹と甥っ子達が眠る長面の霊園にお墓まりし大川小学校へ移動した。昨年、泣いているように見えた菩薩さまが暖かな日差しを受けて慈愛に満ちて見えた。小学校前で焼香し、母子像の方へ行くと大川小学校遺族会の佐藤和隆さん、首藤さん、只野さん、今野さんらが韓国・珍島沖に沈んだ大型旅客船「セウォル号」 で、修学旅行中の檀園高校生の子どもを亡くした遺族、さらにJR福知山線脱線事故故遺族が来ているということでマスコミがいっぱいいた。移動時に東日本大震災から5年特集でラジオから「節目の年と言うが、私たちには節目がいまだない」と。
桃生に移した義弟住居に伺い焼香、そういえば、日本経済新聞春秋に『「俺はね、2時46分でなくて、3時33分に黙とうすんだよね」。泥水で止まったままの時計に添えられた被災者の思いである。宮城県気仙沼市のリアス・アーク美術館には、津波で流された数多くの家財が生々しく展示され、記憶の風化にあらがって声を上げるようだ。・・・』と結びで『84人が犠牲となった石巻市の大川小学校旧校舎には、児童らによる卒業制作の壁画が残る。「世界が全体に幸福にならないうちは個人の幸福はありえない」と宮沢賢治の言葉が書かれていた。その高みを目指そう、との含意だろう。隣には手をつなぐ各国の人々の絵。地球から絶えない悲しみに、共感や激励を伝えている。』と。夕方、天気が大きく変わり雪がちらついてきた。あの日もそうだった。年々歳々花相似たり、年々歳々人同じからずや」。
午後2時46分、黙祷し哀悼の意を表した。続いて、安倍総理大臣が式辞を述べ、天皇陛下のお言葉中に「サイレン鳴らず申し訳ありません」の広報が行われ、自分もどういう神経だと思ったが、FBやメールで怒りの声が多く出ていた。最大の被災地、危機管理はいったいという思いだ。