4月4日(月)秋葉大権現

 生憎の雨、神社祭典や区の総会の件で区長さん宅で資料をいただく。被災低平地の利活用で被災したままの「秋葉大権現」の件を協議することを確認した。歴史を繙くと、小積浜は、金華山道に沿って小積峠の麓に位置していたため宿場として栄えた。安永年間(1773年~1780年)に20戸の戸数から構成していた。写真「秋葉大権現」は、寛政12年3月吉日(1800年)に建立された。この時代は、寛政の改革、すなわち江戸幕府が行なった享保の改革・天保の改革と並ぶ三大改革だ。老中松平定信が、天明7 年(1787年) から寛政5年 (1793年) までの間に,享保の改革を理想として行なった。田沼意次の時代に幕政は腐敗の極に達し,商業,高利貸資本が農村に進出して農民の階層分化が進み,そのうえ天明の飢饉の打撃によって農村の疲弊は進んだ。
「秋葉大権現」は、三尺坊大権現は「火伏せの神」として信仰を集めるようになり、本山とした秋葉山に因んで秋葉大権現と呼ばれるようになった。特に幾度となく大火に見舞われた江戸において広く信仰を集めるようになった。なお、権現とは仏様が衆生を救うために仮の姿で世に現れたものであり、11世紀頃から神は仏が仮に姿を変えたものとされた。現在、平成23年3月11日(2011年)の東日本大震災で被災したままである。母に、これまで「秋葉大権現」により大火事を免れてきた話など聞いた。何とか再建したいものだ。

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