7月10日(水)歴史学
昭和20年7月10日の「仙台空襲」では、アメリカ軍の爆撃により、当時の市内の2割にあたるおよそ500ヘクタールが焼け、1000人を超える人が亡くなってから本日で74年、犠牲になった人たちを追悼する式典がニュースとなっていた。歴史から学ぶことは重要だ。
さて、明日「みちのく黄金文化研究会」で、祝田から山鳥間の金華山道の検証を行う予定だ。予習で本日は、奥州街道・出羽街道などから石巻穀町に集約し祝田までについて現地確認。大街道から永巖寺と石巻小学校に抜ける主街道だったところに「金華山道」の石碑があって『大街道十二丁墨廻江渡り迠湊又一里十八丁渡波迠入江渡又十八丁祝田又一里蛤濱迠又一里桃浦迠又一里荻浜迠又一里小積浜又一里小網倉又十八丁大原迠十二丁小渕迠又一里鮎川迠二十八丁山鳥迠又海上丈四丁渡りテ大金寺迠四十ハ丁」。伊原津から祝田、歴史が明日の観光・インバウンドへ繋がると思うとワクワクする。午前中にアップした「みちのく黄金文化研究会」の件で金華山詣と石碑について、石巻の道端から歴史を紐解く!!「いしのまき歴史ハンター」執筆の伊藤さとみさんから御教授いただいた。中でも石巻市立石巻小学校前の石碑の裏面について、建立者は三春屋平吉で天保7年に江戸飢饉の悲惨さを知り、江戸の人々に飢饉時の食物の作り方うぃ教わって、金華山道標建立の際、裏に書き後世に残したという。「かて飯」(ご飯を増量した)の作り方だ。しっかりと残し伝えていきたい。