最近の活動報告

 石巻市総合体育館に向かう。昨年9月30日石巻市羽黒会館でカンタータ 大いなる故郷石巻実行委員会設立総会を開催し、「震災の心のケアに文化が不可欠だ。議会も精一杯協力していきたい」と当時顧問として力強く震災からの希望となれるように御挨拶させていただいた。会場は、混んでいたが、小杉太一郎 作曲、石島恒夫 作詩/構成「カンタータ 大いなる故郷石巻」は、1973年(昭和48年)の初演から、石巻市において10年毎に上演されており、会場はこれまで石巻市民会館が使用されてきたが、施設が被災したため今回は場所を変えて行われた。
 公演の第Ⅰ部では2010年のSalida調査活動により、楽譜の発見に至った、小杉太一郎 作曲「交響楽」が本邦初演されることとなった。“June 9.1953.”と完成日が書き込まれている、この作品が、まさにちょうど60年の時を経て、石巻の地で甦った。第Ⅱ部は第1楽章「日高見」、第2楽章「たたら火」、第3楽章「雄図」、第4楽章「祝祭」の構成となっていた。今回は、東日本大震災復興記念事業、開会に先立ち実行委員長の西條充敏さんが「400年前の1613年、月の浦から出帆したサン・ファン・バウティスタ号と2年前の震災を乗り越えた」御挨拶でスタートした。何とか希望となっていただきたい。

続きを読む »

6月22日(土)息子

2013年 6月 23日

 溢れた図書を整理するため本箱を購入した。早速、自宅で組み立て、汗だくで分類ごと区分しているうちにあっという間に夕方となった。「お父さん」と呼ばれ、息子が帰ってきた。夕食を一緒にした。そろそろ将来について、新しい家庭を作る責任と重圧、さまざまなことを感じているようだ。整理している中でも、生まれてからの写真を見ながら進みが遅くなることを思い出しながら、走馬灯のように思い出す。息子が私の父へ寄り「お祖父さんのこけしをあげる」と言われたと。大家族の中で息子を育てられたことに感謝しながら次々と映像が昨日のように浮かぶ。早い時間の流れを感じつつ感動的な日だった。

続きを読む »

6月21日(金)名物

2013年 6月 21日

 24節気の「夏至」は、1年で昼の長さがもっとも長く夜が短い日・・・。もっと活発な活動をと思っていたら、朝の犬の散歩で、愛犬が先戦闘態勢に入ったので見ると蛇だ。やまかがしが大きな体(自分より大きなガマゲルを食したようだ)で舌を出し入れ震わしていた。しばらく見ていて散歩開始、蛇を見ただけに宝くじ購入へ。司法書士事務所で石巻市の高台移転や防災集団移転の土地問題など不満が多かったので一つひとつ解決へ。
 午前10時火葬・午後零時半から石川家葬儀告別式、名物の毎日記者石川さんは昨年引退するまで記者クラブで石巻地方をじっくりと捉えていた人だった(御冥福をお祈りします)。
 ナリサワ・カルチャーギャラリーで「まんぼう画会」春季作品展を見学、約50点の作品が展示されていた。その後、ニューゼ石巻で武内館長と懇談、若宮丸を語り、女川へ移動しきらら女川、女川町役場で須田町長と懇談した。
 夜は、私が取締役になったところで、創窓堂志摩飛鳥さん、廣田耕一代表取締役と新生石巻への暑い懇談会。失われる名物を復活させるさせるためにも全力傾注だ。

続きを読む »

6月20日(木)防潮堤

2013年 6月 20日

 午前10時から、仙台の輪王寺で「いのちを守る森の防潮堤推進東北協議会役員会」に出席した。テーマは、急遽6月30日に国交省等の主催の岩沼市での植樹の参加者募集について目標人数350人~500人に対し、現在申込み人数150名で、国交省の正式な発表が6月11日と遅く、人集めの時間が無い状況となっためで、石巻支部としても太田国交大臣の出席もあるので、将来の石巻植樹のため参加者を募っていきたい。続いて役員親睦会の件など協議し終了。
 午後からは、早速対応で動く。夕方、宮城県漁協石巻市東部支所で懇談した。命優先、産業再生、何とかお世話になった方々へ新生石巻をできるだけ急いで恩返ししたいものだ。
 

続きを読む »

 サンデー毎日の今週号が市内の書店やコンビニなど売り切れているらしいとFBで紹介があったので廻り購入した。156ページから157ページの見開きに『独占スクープ「暴言・パワハラ」教諭を庇う市教委の隠蔽体質ー宮城・石巻の中学校で大問題に』という市内中学校の問題を取り上げてた。5月12日母の日にお話を伺って教育委員会に伝えていただけに対処方法など残念でならない。先週、市議会の環境教育委員会でも取り上げられていた。信頼関係が必要な時期だけに県教委と早急な対応を願いたい。
 さて、午後からお世話になっている小渕の阿部家火葬、菩提樹石巻でのお通夜へ行った。進まぬ高台移転や市の対応について憤りを感じると嘆いていた。震災から2年3カ月が経過し着手5%では、人口流失に歯止めが掛からないほか地権者も呆れて説明と金額なしの同意では詐欺まがいであると・・・。夜は、大橋公民館で「Rising Sun 復興支援Concert 2013」が開催され、出席した。コンポーザー・ピアニスト 天平、バリトン歌手 吉武大地、パーカッショニスト山下由紀子の3人のアーティストと全国各地からのスタッフが心が洗われる癒しの音楽を・・・。素晴らしく心に残った。支援に感謝しつつ復興へ心一つにし丁寧さを忘れてはならない。

続きを読む »

6月18日(火)梅雨入り

2013年 6月 18日

 中里で懇談、10時からは泉町で課題となっていたプロジェクトと「いのちを守る森の防潮堤推進東北協議会石巻支部」として20日の協議会役員会と30日開催される岩沼市での植樹対応について協議、前回に引き続きバスで行ける人数を確保して石巻で実施する場合のリーダー育成する事とした。続いて、川開きの8月1日開催される高校生パフォーマンスフェスティバル実行委員会の手伝いについて協議した。終了後、電話で予約していた東松島市図書館で若宮丸の紙芝居を閲覧した。
 夜は、菩提樹渡波で平塚家通夜、移動し飛翔閣でライオンズクラブ国際協会332-C地区第4R 第2Z新旧役員交歓会に出席、梅雨入りの如く会員減少が共通課題だ。ライオネスを含め厳しい状況下、何とか魅力ある会として存続と言う話題でテーブル内で活発になった。自宅に帰る途中、ラジオ石巻の番組で本日からの一般質問が放送されていた。大いに建設的な議論に期待したい。

続きを読む »

6月17日(月)支援

2013年 6月 17日

 「人に迷惑をかけたくない」と意気込むより、「迷惑をかけながらでしか生きられない」と思い、まわりのすべてに感謝する。これは、小林正観さんの言葉だ。これまでいろいろ多くのエールをいただきながご迷惑を掛けながら感謝しかない。
 さて、東松島市に朝、お邪魔し懇談や会議、体調を管理しつつライオンズクラブ事務局で同級生と会い、進んでいない案件について市役所へ確認の電話対応。明日はライオンズクラブゾーン内新旧役員交換会だ。感謝を忘れず奉仕の精神でゴ―だ。

続きを読む »

 父の日、義父と父に感謝の気持ちを表した。いろいろご迷惑をお掛けし自身がしっかりと表したら子どもから労いの言葉をいただいた。こちらにも感謝だ。
 さて、復興マルシェは第3日曜日で賑わっていた。同級生や仲間たちと懇談し、2時からは、石巻ニューゼでの『語り「我にナジェージダあり」―石巻若宮丸漂流物語―』に出席した。石巻日日新聞にて連載中の小説『我にナジェージダ(希望)あり―石巻若宮丸漂流物語』の大島幹雄氏が御挨拶し、ダメじゃん小出の語りで石巻出航から漂流してからアリューシャン列島にたどり着くまでをジョークを交え白熱の演技だった。そもそも、若宮丸は今から220年前の江戸時代、時の将軍は11代将軍 徳川家斉、日本人として初めて世界一周をしたのは、江戸時代の宮城県石巻の若宮丸の乗組員たちであった。16名で江戸に向かう途中で難破した彼らは、半年間の漂流の後ロシアにたどり着き、遣日修好使節レザーノフとともに世界一周の航海を経て日本に帰ってきた。
 終了後、米以外に魚も食べたのでしょうか、着物だけで寒さを耐えた強靭な体など盛り上がった。次回の開催を大いに期待し割れんばかりの拍手で終了した。ロシア語で「ナジェージダ」は希望だ。震災後、希望を抱けるよう学校教育の一環として郷土の誇り、サン・ファン・バウティスタ号など積極的に取り入れるべきだ。ダメじゃん小出さん、シリーズでやりましょう!一人ひとりの希望のためにも。

続きを読む »

6月15日(土)出発

2013年 6月 16日

 宮城県SSをお借りし、参議院議員選挙について懇談した。地方は勿論、国家が良く成るように成らなければいけない。新たな出発へとしたい。
 11時から石巻グランドホテルでFFCの件で土屋さん、木原さん、山下さんと懇、良いものをどう相手に伝えて行くか目標管理とPDCAサイクルのようにしっかりとした対応・出発としたいものだ。
 その後、立町ふれあい復興商店街や復興計画の遅れや変更について伺い、2時には、ハマボウフウの種が贈られ、受け取りコミュニティビジネスなど出発準備。
 午後4時から小渕浜の親戚の民宿「あたご荘」の落成式へ出席した。東日本大震災で被災し再建のため懸命に対応して来た。ようやく完成したが、この間にボランティアの皆さんや多くの方々のご支援、さらには本人の努力の賜物だ。感謝する分、今後の出発におもいを込めて活動していただきたい。民宿の浜の料理を満喫し心からおめでとうございます。

続きを読む »

6月14日(金)取り組み

2013年 6月 16日

 午前中は、整理とやっと我が家に光通信の導入の工事に立ち会った。その後、荻浜地区振興協議会の総会に出席、挨拶した。特に、サン・ファン・バウティスタ号の出帆地である月浦を抱えている当協議会での復興を含めての役割は大きい事を話した。人口流失に歯止めが掛からず具体策もない。高台移転が遅れ、マイナススパイラルを顕著にしている。各委員さんの思いも一緒だ。終了後、5回にわたり議論し、アンケート調査も実施した荻浜小学校の来年度以降の対応について結果と来月教育委員会境教育長と市長に要望活動への動向を伺った。
 5時半からは、石巻グランドホテルで親戚の菅間県議らと懇談した。次いで、いのちを守る森の防潮堤推進東北協議会石巻支部役員会を開催、今後の取り組みについて協議、途中でゲストを招き入れ活発な会議となった。

続きを読む »